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製本の歴史

書籍の歴史

書籍は人類がものごとを記録するために用いてきた主要な道具であったとともに、感情を表現し、知識を吸収し、経験を伝承するための媒体として、人類文明の発展になくてはならない大きな貢献をしてきた。このため古今東西を問わず、人々は書籍を最も重視し、また最大の関心を払ってきた。

人類はさまざまな創造をなし、それらは長い歳月にわたる発展の過程のなかに無数の人々の力と心を結集し、そして成長しいっそうの発展を果たしてきた。もちろん書籍もこの例外ではなく、中国を例にとれば、少なくとも三千五百年以上の発展の歴史を持ち、先人たちはそこに比類ない叡智と労力をそそぎこみ、種々な進歩の過程をへて今日の状貌に達した。大まかにいえば、歴史上、特殊な目的をもって製作された書物以外、書籍の発展は一つの脈絡を持って今日にいたっている。

最も早い時期における人類の往来では、たがいの意思を通じ合うときは手や音声を用いたと想像できる。その後、経験の累積によっていくらかの固定した音節が定まり、それらがしだいに特定の意味を持つようになり、ここに人類は音声があって言葉のない時代を抜け出し、言葉があって文字のない段階に入った。

言葉だけの時代、人類は記憶力に頼って聞いた話は脳裡にとどめ、それをまた他の人に伝え、あるいは心に思っていることやみずからの経験などを話していた。それらの目的とするところや手段は、その後に出現する書籍の役割と似通っている。このことから書籍とは、口伝の文字化ということができよう。

人の記憶力には当然限界があり、また時間や口伝とともに内容が変化することもある。このように欠点の多いなかに聡明な人類は、記憶を補うためのさまざまな方法を考え出した。そのなかで代表的なものが、縄の結び目によるものだった。結び目の大小、あるいは強弱などそれぞれに異なる形によっておのおのの内容を表現した。これは縄書きと呼んでもいいものだろう。

縄書きはその内容を遠方に伝え、また長期間保存することもでき、言語だけの場合にくらべ長所も多い。だが結び目の形にも限度があり、迅速に進歩する人類社会の需要を満たすことはできなかった。そこで人類は新たな方法の開発に着手し、天然の象形を簡略化して描き、そこから簡単な図形を造り出し、それを特定の意味を待つ符号とした。そこにはすでに文字の雛形が見られ、人類はこれを文字の出発点としている。その後、時代の流れとともにさまざまな改良が加えられ、しだいに象形文字が形成されていった。それがまた長い歳月による発展過程をへて無数の字形が案出され、人々に使われるようになった。このようにして出現した文字は、人類の文明に画期的な変化をもたらし、ここに書籍の基礎が確定された。

文字ができれば、まずそれを記す材料が必要となる。最も早期の記すための材料は、すべて自然界のものを活用した。たとえば、石、樹皮、木の葉、獣皮、獣骨、亀の甲羅などである。しかしこれらの材料にはそれぞれの欠陥があり、文字の記録に十分な効能を発揮することはできなかった。春秋戦国時代(前770〜前403)には、知識というものがしだいに普及し、記すための材料の需要が増し「簡書」と「帛書」が相次いで出現した。「簡書」とは竹や木片を細長く加工し、その面に上から下へ、また右から左へ、さらに一枚一枚順番に文字を書きこみ、それを最後に順序よく紐で繋いだ書簡のことである。「帛書」とは織物に文字を書きこみ書籍としたものであり、それは柔らかく軽く、携帯にも閲読にも便利なものであった。当然「簡書」よりも「帛書」のほうが貴重とされたのだが、知識のいっそうの普及や書籍の発展には、まだ紙の発明を待たねばならない。

紙の出現は前漢(前202〜後8)のころと思われるが、史書による正式な記録では西暦105年となっている。紙には軽くて柔らかく、また安価という長所があり、出現と同時に書籍製造の主要な材料となった。これによって書籍製造に関する多くの問題点は解決されたが、一字一字書き写しとっていくのは、非常な労力と時間を要し、この点ではまだ不便であった。そこで先人たちは印鑑と拓本の経験から、木版によって大量にかつ速く書籍ができないものかと考え、ついに木版印刷術を発明するにいたった。

木版印刷術の発明は唐(618〜917)の時代であるが、それは手工業時代における最も効果的な書籍製造法として、たちまち広く利用されるようになり、五代(907〜960)や両宋(960〜1276)には書籍製造の主力となった。また、さらに速くかつ美しく仕上げるため、宋の慶暦年間(1041〜1048)には活字の配列による印刷方法が編み出され、元朝(1271〜1368)未期にはそこへ彩色の技術までが加えられた。その後も印刷技術は不断の進歩を遂げ、その美しさも人々を魅了するようになっていった。

では書籍は、文字、紙の発明、印刷術の進歩のほかに、どのような装丁の過程をへてきたか?竹や木簡を繋いでいたあと、中国では書籍の装丁は、簡単便利にかつ実用的に、さらに美しくといった目的に向かって耐え間なく発展してきた。それぞれの時代の経過によって、巻軸、冊葉、経摺装、蝴蝶装、包背装、線装などの過程をへてきた。近代の書籍は機械操作によって並装や上製本が製造されているが、古書の復刻版などはわざと線装によって時代をあらわしたりもしている。これも過去を偲ぶ意味において、意義深いものがあろう。

台北駐日経済文化代表処 中華民国(台湾)の手引き、文化、「書籍の歴史」より引用。

日本の製本の歴史

言葉(音声)、文字、紙、印刷の歴史を折り合わせ、形成されている製本。製本することで、古えの知識、知恵、経験、感情は集約され、記憶を記録する最も有用な手段として日本にも根付いてきた。

巻子本

折り本

■奈良朝以前
製本の起源は、中国から伝承した『巻子本』といわれるものが、日本で始めての書物といわれている。遠く奈良朝時代は、ほとんど巻子本様式のものであったとされている。
『巻子本』は、途中の一節や一部分を見たいときにも、全巻を広げなければならず、不便なものであったことから、次にはこれを巻かないで折りたたむようにした『折り本』が使われるようになった。

大和綴じ

四つ目綴じ

洋式製本

■平安時代
和綴じ本の起源は千年以上も遡り、平安時代の初め、空海が中国から招来した「三十帖策子」が、現存する最古のもの。これは、二つ折りした本文をたばねて糊付けし、最後に表紙を糊で接着したもので、中国では胡蝶本と呼ばれているが、日本では、糸でかがらないことから粘葉装(でっちょうそう)と呼ばれていた。これを発展させたのが『大和綴じ』で、糊を用いず糸でかがって、表紙の二ヶ所をひもで結ぶ形式。
中国の宋から明の時代にかけて用いられた、袋綴じという形式の明朝綴じが鎌倉時代に伝わり、江戸時代に入って木版印刷による出版ブームが起こった時、江戸職人の技と粋が和装本に集約されて、様々な綴じ方が生み出された。代表的な『四つ目綴じ』の他、康煕(こうき)綴じ、亀甲綴じ、麻の葉綴じなどがある。
1856 年徳川幕府の藩書調所に雇われたオランダ人より『洋式製本』が伝わる。 発祥地域により東洋の和漢装本と西洋の洋式装本。用途により出版物製本と事務用品製本に。生産量によって数物製本・図書館製本(諸製本)・創作製本(ルリユール)に分類する。様式によって上製本(本製本)と仮(並)製本に分類できる。さらに、洋式製本の製本様式を細かく区別するには、表紙に使われる芯(しん)材料・表装材料と仕立て方による表紙の種類を併称する必要がある。
■明治初期
印刷局に雇用されたイギリス人(W.H.Peterson)が本格的な『洋式製本』を伝授したのが近代製本の始まり。
断截機、針金綴じ機が輸入され機械化が進み近代化への道が開け、洋式製本の量が増加し、製本業者の間から機械の国産化を望む声が高くなった。やがて大正時代に入ると、製本機械の国産化が進み、専門メーカーも出現して、わが国の製本業界も近代製本へ大きく前進した。
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